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土岐雄一郎 「塵箱文庫(2)」

 

 

8. バックグラウンドミュジック(その1)


  バックグラウンドミュジックとは何なのか。聞かせるでもなく、聞かせないでもなく、天井のすみから流れてくる音楽、とでもいうのがいちばん印象として自然だろう。さりとて床の下から,屋根の上から、洞窟の奥から海の底から肥溜めの中から風呂場の排水口の奥から尻の穴から流れてくる音楽、とまでいうのは印象として不自然だとは云い切れないが。
  バックグラウンドミュージックなるもの、なかなかの曲者だということを云いたいのだ。何気なき顔,何喰わぬ顔で、空気の如く生活空間にはいりこむ。誰も聞いてはいない聞く気もないという情況にかかわらず、人は聴覚の片隅でシッカリとらえている、ということを知っている。(それがその場にピッタリ合っていた時ほど人は 「気にしない・気にならない」ピッタリ合わなかった時ほど人は「気にする・気になる・ウルサイ」となる)
  おんなじ曲を毎日毎日くり返しくり返し聞かされていると、意識下でどのようになっていくかは、テレビのCMひとつで十分証明できるから面白い。
 「あ、この曲知ってる!」というのは親近感のあらわれであり、好感に
通じることでもある。
 みずから、演奏会に出向いたりCDを買ったりして、意識的に聴いたものと、いつどこでだか知らないが無意識に聴いたものとでは、音楽体験としては多分あとで差が出る。後者のあと,前者にはしる、ということになれば理想的だ。「聞き耳を立てる」と「耳に残る」は好みの音楽との出会いだ。音楽は抽象芸術であるゆえに「右脳で聴くべし」といわれるゆえんだ。音楽に能がきはいらない、ということにも通じる。
  昔NHKラジオ番組で「音楽夢くらべ」とういのがあった。一般参加の出場者に審査員数名からなるもので、一種のコンテスト形式、それも右脳をフルに働かせるべく作られた珍しい番組だった。(音楽の本質をついた番組としては、今に至るも類を見ないものだ)二つのコーナーがあってその一つは、ある曲の一部を聞かせてそこから自由にイメージして言葉をあらわす、というのであった。(あと一つは即興で歌うコーナーだった)その時、サンサーンスの序奏とロンドカプリチオーンか鳴った。


  「あ・…高層ビルの立ち並ぶ都会の空間――巨大な熱帯魚がビルの間をぬうようにスイスイと泳いでいく」 これを聞いて審査員 「ウーム、コレハスバラシイ」「非凡な発想力、感心しました」 審査員は民放テレビを見ない人だったのだろう。私は即舌打ちした 「ナニが非凡だコノ凡くら」 何の想像力もオリジナリティもない凡人の発想そのモノ、「CMそのまんま じゃねぇか。」 同じ曲を使って彼の描いたそのまんまソックリの映像が、当時テレビで毎日のように流れていたのだ。
  しかし考えてみればこれも音楽の効用、彼ひとり責めるにはあたらない。今にしてわかる。音楽とイメージの関係とはその程度のものなのだ。つまりは音楽は意識下に左右される。
  熱愛の相手と月影のテラスで抱き合った時流れていた音楽。会社をクビになってドン底に落ちこみながら入った焼鳥屋で流れていた音楽。人目ぼれしたバスガイドが歌っていた音楽。 ……彼らがそれぞれの音楽と再会した時、それぞれの情景を思いおこす。熱い鉄板の上で踊らされている間じゅう聞かされた三味線の音は決して忘れない猫のような情態、つまりはパブロフの条件反射である。

 

9.  バックグラウンドミュジック(その2)

  それゆえバックグラウンドミュージックゆめゆめ馬鹿にすることなかれ。
  ゆめゆめ夢うつつに聞く音楽 ―― 夢のバックグラウンドミュージックなるもの軽んじることなかれ。 だいたいそんなときは枕もとで本物の音楽がラジオかなんかから流れていて、夢のスクリーンに見事に合成されているものだ。そのときの気持ちのよさたるや誰しも経験ずみのことと思う。そのうち映像だけがオーバーラップして窓からさしこむ陽ざしのなかの寝室シーンとなり、―― 現実の世界にもどされるわけだ。
  目覚しラジオ ――目覚しステレオはいいアイデアだ。  それ用の音楽としては《イマジネーションの広がりを望むなら》クラシックのオーケストラ曲、《エロチックな期待があるなら》お好みの女性)の(男性の)ヴォーカル又はラップ・ナンバー、あるいはもっとダイレクトな声そのものを録ったもの、《インド旅行を望むなら》インド音楽。バックグラウンドミュージックのためのバックグラウンドミュージック―――音楽ジャンルとしていうところのバックグラウンドミュージック。 BGM と略して云われるごとく耳あたりあたりさわりなく肌ざわり耳ざわりさしさわりなき音楽にしあげるべく規制されたかのごとき音楽のごときは、天井のすみから流されて人に聞かれるでもなく聞かれないでもない音楽だ。
  ひとむかし前にムードミュージックというながあった(今でもあるか)。
  マントヴァーニとかフランク・プールセルとか101ストリングスとかメラクリーノ・ストリングスとか。一時は私も盛んに聞いたり聞かされたりしたものだが、思い出せばあれもBGM,そしてあれこそBGMのハシリだったのだ。 それこそ耳ざわりもよく肌ざわりもよく、BGんとしても上質のものだったことを思いおこされる。 天井のすみから流れてくるのに何度も聞き耳を立てたし、あとあとまで耳に残っている演奏も少なくない。 ともかく編曲・演奏に「気」のはいったものが多く、タクトは楽器はじゅうぶんに歌っており、ムード音楽の名に恥じぬ風格とかプライドとかを感じさせ、それでいて大衆音楽の気楽さ手軽さわかりやすさユーモアまでそなえていた。 またそれぞれの楽団のカラー、個性はしっかりと守っているから、ちょっと耳にしただけですぐ 「あ、メラクリーノ……」 とわかったわ けだ。
  「ムード音楽か ―――けっこう手抜きしているぜ、アレンジだって。ナニ? マントヴァーニ? プルーセル?…いまごろ…」 と笑って軽くいなす友人の音楽家。 イヤ、スタジオミュージシャン、アレンジャー、コンポーザー ――― いま多忙を極める業界の売れっ子だ。 それに対して笑い返す私。「手抜きはオマエサン方の方がウワ手じゃないのか。アチラサン方の手抜きを云うならそれは少しでもムダな音を少なくしてシ
ンプルに磨き上げる、ということでこれはホントの手抜きじゃないわナ。」 「ドシロートみたいなことを云うな。 手抜きは必要悪。 手間と時間ばかりかけるブキヨーな奴はロクな音楽かいてねえだろ。 譜面は手抜きでも出てきた音を聞きゃウデの差が出るのよ。」 そうかいそうかい! ウデに自信があるのかい。 そうまで云うなら勝負してみろい。(オマエの音は何度も聞いたよシッカリ聞いたよ)マントブァーニでもなんでよび出せ。おんなじ曲でやるんだぜ。 「シャルメーヌ」 はどうだい。 マントヴァーニがあるぜ。 こいつばかりはいろんなアレンジいろんな楽団つぎつぎ聞いたりためしたり、 結果はどうだい勝負にならねえこいつあはなから歯が立たねえ。 シンプルな音符シンプルな構成それでいて豊麗繊細幽玄の響きあり。 同曲異工と他を見るに同工異曲か大同小異、さこそ猿真似関の山、越すに越されぬオーイお茶!
 

 
10.  バックグラウンドミュジック(その3)

 

 

   茶飲み酒飲み飯食い排便労働休息運動睡眠生活空間背景音楽。枠内映像融合音楽合成音楽背景音楽映画音楽。

 上九一色村にもBGMが流れる。
 むらびとたちほむらむらむらくさむらこがすガスくさきくさき教団むらがるナントカ「さち庵} さち多き信者たちの脳味噌ふかくながされるBGM映像偶像MC経文きょうもきのうも機能せんのう…われらがわかき日おもいおこせばさんすうすうがく経文さながらおうむがえしにおぼえしまいにち・…ヒトヨヒトヨニ人ミ殺し・ヒトナミニ驕レヤ・フジサンロクオウムナク・・…。Oh!

無 ――  おおムード音楽 ――  若き日ムード音楽に洗脳された。
   1950~60年頃、SP後期からLPステレオ初期にわたる10年間というところが、「ムード音楽」 なるものの最盛期だったと思う。 ありがたく手に入れたるSPレコードの一枚「マントヴァーニ管弦楽団」 (魅惑の宵だったかバラのタンゴだったかシャルメーヌ?どれが最初だったか忘れた)ターンテーブルにのせ針をおろすと、この蓄音機から今まで出したことのない音、豊麗繊細幽玄な響きが突如湧きあがった・・・。鳥肌
が立つという思いをしたのはこの蓄音機では初めてだったと思う。何度もその「ロンドン・レコード」最新録音盤なる盤面をためつすがめつ今でいうカルチャーショックだった。
  以後小ずかいをためては、マントヴァーニーとかメラクリーノ・ストリングス、フランク・プールセルと、次々と触手を伸ばすことになる。究極の「101ストリングス」に出会うのは、LPになってからである。
  101ストリングス、このスゴさスバラシさについては、今触れるには紙数がない。ただ「フォスター名曲集」一つ触れるに、一口で云うに情妙巧緻にして繊細大胆,情緒テンメンから一転して快活爽快――しかも「優等生」でも「豪華主義」でもなく、強烈な「個性}と「必然性」「ムダのない」「ゆとりのある」・・・・イヤイヤ書けば書くほど真実を伝えられないもどかしさ。(ともかく時間と鐘はたっぷり使ってある)
――ただしこの「101ストリングス」も、のちになって質が落ちツマラナクなってきたのは、「ネーム貸し」つまり「カンバン貸し」をしてニセモノマガイ、実質ニセモノの演奏がハンランしたせいであると伝えられる。 LPの誕生から数えても四十数年、その間録音・再生技術の進歩たるや、目を見張るものがあるが、こと「音楽」に目を向ければ、――目をみはるものは、残念ながらほとんどない。(十年一日イヤ五十年一日。)
  ただあるのはリズムの変遷スタイルの変遷だけである。はやりすたりは敏感なこの業界抜け目なく次々と時世に乗りおくれないものは作り出して来た。ただし、音楽は、十年一日の方がいいのだ。それで不都合なわけはなにもない。クラシック音楽がその典型で、テキストは不変なわけだし演奏解釈もそうそう変えられるわけもない。ポピュラー音楽はメロディーが主体で、メロディーの創造技術と云ったって、もう底をついているって説もあるくらい作曲家をなやませている。あとは編曲法、せいぜいリズム――やはりリズムだ、スタイルだ、と云うことになる。
   しかし、そこに、おとし穴がある。音楽は、その本質から、年々遠ざかった所に神経が精神がこころがマインドがいってしまって・・・いる。だがこれは力説すればするほど、年寄りのくり言になってしまうのだ。もう、101ストリングスの上を行くことはできないのだ。プロ野球、年間42勝の稲尾投手を超えるものはもう出現不可能といったようなものだ。 この間NHKの音楽番組が、前田憲男とポップスオーケストラを使って、懐かしのムード音楽みたいなことをやっていた。一口に云ってしまうと、失望だった。これだけの人材を使ってなんとももったいない、とおもったものだ。なかで、マントヴァーニのヒット曲を集めて要領よくメドレーに仕上げたコーナーもあった。オリジナルスコアにできるだけ忠実にコピーされていたのはさすがである。してその演奏は、というと ――どこかちがうなぜかちがうぜんぜん、違う。マントヴァーニは、感傷的なまでに楽器を歌わせる ――終始微妙に時に大胆にテンポを揺らす。編曲が完成した時点では、テキストはテキストに過ぎないのだ、彼自身棒を振って演奏されてはじめてマントヴァーニは完成するのだ。
   ポピュラー音楽の基本はインテンポだ、よほどの必然性がない限りテンポを動かさない、とする基本姿勢から安全路線としてリズムセクションのレールを先に敷いてしまう ――これがいま流の合理的編曲技法の常道である。その上、時としてリズムボックスまで利用する。それと、シンセ、キーボードの多用。一人で何人分(時には何十人分)もの音を出してしまうし、何しろ便利重宝なのだ。加えて、いま風のサウンドになくてはならないものだ。このおかげで失業した楽器演奏者は数え切れない。
  合理化第一主義――科学合成物質=非自然体人間。  科学兵器,毒ガス兵器、細菌兵器、地震兵器、音楽兵器・・・・。  音楽兵器――?思いついただけでゾッとした鳥肌立った鳥とび立った・・・。 それは天井のすみから流れてくるだろう――床の下から―屋根の上から―洞窟の奥から―海に底から―肥溜めの中から風呂場の排水口の奥から尻の穴から・・・。 

 

                        了

 

 11. .ふたたびバックグラウンドミュージック 

 

 

   筆不精をきめこんで久しいPETAX..NEWSだが相変わらず毎号手元に届いてくる。本来自作品の活字を眺める楽しみだったのが他作品の活字を読む楽しむと化して久しい。他作品とはわが同輩先輩後輩同業同穴むじなの並べる文字なとこれまた散文韻文感想文やら佳作秀作力作凡作傑作駄作優作健作うるさくセンサク千差万別センスは文なり文は人なり人はなりゆき干渉無用観賞有用鑑賞これまた有用と云うように悠揚せまらざる文字遊びをやっているうちだんだん作文意欲がわいてきた。わいてはきても管を通してしっかり導き入れ浴槽にまとめなくては温泉は温泉にならない。よくそういうことを考えては冷めた自家風呂の中で故障した点火装置のことをうらんでいる自分を発見したりしたものだがそんな時にこのまえのPETAX.NEWSの紙面にその点火装置がしかけられていたことを感じたのだ。それは小さな2文字の活字だったようでで老眼鏡でをとりだすヒマもなくパッと目にはいった。すぐさま老眼鏡で確認するわが名前本紙で忘れ去られようとしていた名前だ。ペ氏の温情いたく感じた片隅コラム「土岐氏の先日送り付けてきたテープBGM/Tokiなる奇ッ怪千万なるものの笑止千万意味不明意識不明のゴキブリも還らぬ虫となりふらんす歌謡のなりふりかまわぬボウトクぶりには腐乱寸前婆あも笑い止らず椅子から転げ落ちた」云々は過分の評価と我恐縮し驚喜したと同時に危惧さえ感じた。ゴキブリ殺しの器具では ないホメ殺しの殺気さえ感じ、これは是非一文をものにせずにはおくまい、と思うに至った。 というわけで、BGM/Tokiのことを書かざるを得なくなった。(内心この日を待っていたぜ) BGMと言えば以前「バックグラウンドミュージック」なるタイトルでホザいたおぼえがあるからつながりができているワケで、こいつは都合がいい。都合がいいといえば都合がいいことに、ちょうど・・・・・・・そばでベルが鳴った。電話だ、電話が鳴った!!― ウチは万年留守番電話を十二年来通してきているのでトッサには受話器にとりつく習性を持ち合わせない自分をもどかしがりつつその音声に耳をやる。「トキサン、ペタです・・・」そして「・・・・・・原稿は800字見当でお願いします・・・・・」でシメた。しめた!800字といえばこの辺でチョンだ、残念だが本題に入ったトコでつづきは次号だ。

 

 

 12. ふたたびバックグラウンドミュージック(2)                    

 

   「ありあまる時間とお金をもてあますときあなたはどうしますか。わたしこれをつくりました。BGM―TOKIです」さっそくの能書がこれである。が、「なんてうそです」とつづく「半分は本当です。時間はホント金はウソ/ということはジゴトがない/シゴトよごとのつりザオに/シカケないからツレないまいにち/おちこむまえにうちこむべしと/しんせきカネかりシンセ買い/うちこむウチコミ新世界/セコい個性の世界/コウセイのこるケッサクと/ドンドンふくらむ大編成/ガッキ編成おもうがままに/わがままきままのおとずくり/たのまれしごともボツボツと/お気軽からおけカルチャ/うたいずらくてボツだなど/安うけあいのゼニうしないで/たまるは音源ばかりなり/ろくおんくるくるリサイクル/カラオケ転じてBGM/ひょんなことからひょうたんから/コマがとび出しクルクルと」…等々滔々どこまでつづくこれはたんなる次数かせぎとすぐさま気がつきここから中略。  「ドライブでの覚醒剤/寝室での催眠剤/食堂での食欲減退剤/病室での陣痛/等々多少のお役に立てれば幸いです」そして「(ご使用上の注意あなたの健康を害する場合があります。とくに耳の汚れ、片腹の痛みのひどい場合等の責任は負いかねます」とむすぶ。 「どんな音楽じゃ!」とツッコませるに十分な能書だがこれに3巻のテープが同封されておくりつける。「我ながら上出来じゃ」というのもあれば「我ながら下の出来じゃ」というのもある。BGM―TOKIなる代物について前フリがいかにも長くて申し訳ないが,だからといって少ない紙数ですませるものでもなく、だからといって多くの紙数を費やすべきものではさらさらない。  だからといって、ここで今回この紙数つきたるを破るわけにいかない。                         

                                                                           ときゆういちろう/ピアニスト,作編曲詞家、カラオケ&BGM作家etc

 

 

 17. ふたたびバックグラウンドミュ-ジック(3)                                                       

 

   「ありあまるおカネみにあまるメイセイめにあまるショウバイみみあまきミンシュウのみみにあまくあまねくおもねる音楽家芸術家ミュージシャンことBGサブリミ音楽職人―ーそういうジンシュにワタシハナリタクナイ」五線紙をひきちぎってのなぐりがきのメモが机の上にあったのでついひき写してしまった。ここのところヒマなのでTVラジオCDビデオととっかえひっかえBgMgawarini,「イマ」の音楽なるもの、トレンディーなるヒットミュージックなどかずかず耳に入れてみることになった。左の耳から右の耳へ、また右の耳から左の耳へ風のように通り抜ける、またはたまい両の耳から尻の穴へ通り抜けるが、いつも脳みそにはよりみちしようとしないし、胸にとどまることもない。ということはいろんな作業や仕事の手を止めさせられたり心うばわれての弊害の心配のない音楽でこれすべてBGMとしての条件を満たしている。そういう意味で人畜無害の人工サイバイ無菌無毒というのも健康上耳にだっていいんじゃないか――と思いきやそうではなかった。このときなぐりがきのメモが生まれたのだ。 耳は汚れてくるを片腹は痛みだすわ、ついでに胸も・・・頭も痛くなってさて口なおし耳なおしにマトモな音楽会に足が向くとフトコロが痛いお足が痛い――と口も汚くなってくる。ということでBGM TOKIを聞くイヤ聞きなおしてみることになる。自分の汚い顔を鏡で写し見るが如きもこの際恥じない。するとアーラフシギ耳の汚れ片腹の痛みはきれいにとれてるではないか。鏡でなんども耳をたいかめ耳をうたがったが歌があったが汚れはなかった。  歌と言えば歌の名伴奏としてすぐに思い出すのがポール・モーリアである。あの時代のあの楽団には歌があった。うたがいなしの歌うたい勿論シャンソンの大物小物際物モノのみごとに流石フランス流流れの中に身をまかせ歌い手の歌声も一段といきいきとして感じたのは小生ばかりではなかろう。Pmo-riaばかりではなかろうあのじだいのあの国の楽団はキラボシのごとく散在していて、イヤイヤあの国ばかりではなかろう、ひかりかがやく歌にみち愛にみちどのみちこのみちいつかきたみちみちしおうつすまんてんのほしまんてんのおんがくまんいんの耳をとらえ耳をうばい・・・というようなことばばかりならべてばかりではばかみたいではばかられるようだがはばからないばかであるからしかたがない。しかしいくらばかでもいまの時代がばかばかりというほどのばかではないつもりだ。 ポール・モーリアだってまだ生きている。星も必ず変容するし光を失う時が消滅の時が来る。 ポール・モーリアが変容というか、変身というか、そうそう・・・・・・鳥にたとえれば金の卵を産む黄金のハゲワシか、はたまた歌を忘れたカナリアか・・・。 ――いつもついでに思い出すのが「あの」アイドルピアニスト(というよりピアノをひくアイドル)?・・・エエト、リチャード・クレイダーマンか。まァそんなもなァどうでもいい――――ここで急に気分がひきしお、ペンを持つ力がフニャッと抜けた・・・(以下次号)                                

 

 

 

18.  「六味唐辛子の歌」    

 

 
  「六人は一味/一味は六人/六味唐辛子/トオから四を引いて/6人もよれば/こわいものなし/六味唐辛子/こわい人たちが/六人もよれば」と始まり「一味たりないね」と最後に結ぶ「六味唐辛子の歌」を小生が作詞作曲した当時、「意気込みイレ込みひととおりじゃないな」とひととおりのことをいうひともおりそのとおりそのとおりとこたえるほど小生ひととおりの自信などもっていなかったのはひととおり知ったひとの知ってのとおりだった。
 ひととおりいじょうのひとでなおひとより異常ななにかをもったひとたちという意味もこめて、「変人集団」による「変な舞台」という何となく無責任な夢があったが夢にもなくなんとなく無責任に6人の人達が集まって来たので正直いって夢破られたという思いにかられたというのが正直いって無責任な小生の思いだったというのはその顔ぶれが正直いってマジメ人間の典型なること小生同様この上なしと見えたからだ。ただしそれは外見みてくれきいてくれ聞いてもビックリ見てもビックリはいつの世もつきものばけもの。小生が言及するまでもないが、その6人の内部身体内臓頭脳心象風景身障瘋癲真性包茎。
 ――典型的サラリーマン風サイコロジストほど怖いものはないし一方、サイコロの目も狂った異常者風なのが実は平々凡々たるサラリーマンにすぎなかった――というのもまた怖い。
 「こわい人達6人よれば」とはそういうふくみからだがだからといってからだがこわいあたまがこわいわけでもなくしいていえば、カラダはカラダ、あたまもカラだ、コワい体コワイ頭、イヤイヤいうにことかいてこうちょくちょくコワいこと書くいているペンさえ硬直する。やはり思いきったことをやるにはアタマは思いっきりやわらかくないとどうしようもない。
 「六味唐辛子」初舞台から今年で約六年、99.4.2が第五回公演となる。時間のわりには回数が少ないというのは当たっているし、一公演は一回限りはもちろん、しかも第四回は四人きりの変則というもの。
 このあたりまさに六味唐辛子の限界というに十分で、だから進歩発展などという言葉とはとおざかっているといえる。その間一回ごとに二人づつメンバーチェンジしているということもある…・しかもきまって若い方の女性二人。これはどういうことか?
 しかもいつもきまって「善意・賛同・協力」の姿勢互いに満ち満ちてスタートしていたことは証言できるのだ。その結果公演後「二度と来ないで」となっているのだ。これは六味の体質にも問題ありと見ている人は多い。
 ところでかくいう小生ワタシめが今回公演前に、「六味」に辞意を表明せざるを得なくなったのだ。肉体的精神的状態の悪さもさることながら、今回に至ってはとうていついてゆけないなというものが積み重なり、一味として自分自身をクビにしたのだ。
                                             (つづく) 

 


19. 最後のニュース         

 ブッダの国さえ ぶったぶたれた   アラーの国さえ アラーたすけて   バクダッドのバクダン・ダダダン   あらおそロシア おそロシア
   ブッソウな武装グループがいつ   導火線をドウカセンとも限らない   挑戦の時期が来た来た 北挑戦!♪

 

 
20. しあわせな愛のシワヨセ 

              
 しあわせな愛など ないない ないない      ふしあわせな愛などは ないとは言えない     いえない 癒えない
   癒えない傷を 癒そうとして    求める乙女御に いや そうじゃない いや そうじゃない     いや そうじゃない いや そうじゃない
   愛  愛  あいす  あいす  アイス  アイス   ただ  冷たいだけ    しあわせは  翳のように  シワヨセは  ついて来る  
   シワヨセは  悪の神  死神  貧乏神    「幸せな愛などない」 ♪

 

 
21.  当世ドンパン節           

 


  ドンドンパンパンドンパンパン  ドンドンパンパンドンパンパン   ドンドンパッパドンドン  ドンパンパン

 ブッダの国さえ  ぶっだぶたれた  ぶたれたぶっだ   アラーの国さえ   あらがいあらそい  あらあらし
 イエスの国さえ  なんじの敵を    断じてゆるさず   イエスかノーかの  2択しかない  しがない脳内  単純世界
 テロよ身てろよ テロップかかげ 爆弾ドンパンバクダッド ドンパン武士も盗賊も 地獄の沙汰もカネ次第
 いのちの燃焼 自爆テロ あらおそろしやおそロシア 武装グループ物騒な 導火線をどうかせんか

 ドンドンパンパンドンパンパン  ドンドンパンパンドンパンパン ドンドンパッパドンドン  ドンパンパン

 拍手喝采鳴り物入りで  颯爽登場ニューリズム  よーく見ていろ  このリズム  テロテロリズム  テロリズム
 ニッポンじゅうじゅう  ポン・ジュース  発砲水入り  ポン・ジュース  発憤剤入り   ポン・ジュース
 脳内世界にしみわたる その味 この味  このパッション ニッポンじゅうじゅう  踊るのだ  サア挑戦だ  挑戦だ
 挑戦の時期が来た来た 北朝鮮!


 ドンドンパンパンドンパンパン   ドンドンパンパンドンパンパン   ドンドンパッパドンドン   ドンパンパン

 国が 世界が 地球ぐるみが アッという間に 一色になり 国が 世界が 地球ぐるみが アッという間に 丸裸になり
 つんつるてんの  すってんてん  おたがい  毛が無うて  よかったナ


 22. ちきゅうがんぼうしのうた     


 「マクドナルド農場」 賛歌  地球も病気する   イヤイヤヨ    地球の病気など  イヤイヤヨ 
 地球も怪我する   イヤイヤヨ    地球の怪我など  イヤイヤヨ
  
     高温発熱  大量発汗  血圧上昇  脈拍亢進     全身痙攣  大量出血  悪性腫瘍  満身創痍

 そんなわけねえだろ イヤイヤヨ    10万年も先の話 イヤイヤヨ そんなわけあるのさ イヤイヤヨ   4,5年先もあぶない 話だよ
    
      高温発熱 大量発汗 血圧上昇 脈拍亢進      全身痙攣 大量出血 悪性腫瘍 満身創痍

 地球も年とる イヤイヤヨ   地球もシワが増える イヤイヤヨ 地球もボケがくる イヤイヤヨ    地球も寝たきり老人 イヤイヤヨ

 (「ドンパン節」賛歌)
    あヽあ~そろそろやめないかい    地球をよごすのやめないかい    ドンドンパンパントンパンパン    おたがいけがのうて過ごそうやい

 

 
23. 出て行けこの野郎 (HIt the road Jack)   曲 レイ・チャールズ    詞 土岐 雄一郎

           (女)  さあ出ていけ そのツラみるのも        これで最後だバイバイ      なんの未練もないよ
          (男)  (そりゃないぜ)        

          (女)   さあ出ていけ 吐き気がするもの       もうノウーモアサンキュー    さあ出ていけ イエお姿を消して
          
          (男) おお神よ  神様仏様      かみさんは おおかみ おおかみ     と云いたくなるな     このぼくがなにをした 
           (女) (したよ)
           (女)  さあ出てい そのツラを見るのも     これで最後だバイバイ     なんの未練もないよ
           (男)  (そりゃないぜ)
           (女)  さあこんどは 失くした私の   もの もの  のこらず取り返す    青春と自由をね

           (男)  追い出す権利 アナタどこにあるの ヨ     帰るところ  ここしかない
           (女)  ない ない ないね このウチに      お前の住める権利 ないでしょ
           (男) オニのような女  サ裁判だ 裁判
           (女) (裁判)
           (女)  早晩には かみの裁きで          目に物見せようと思ったが


                  こんな日が来るとはね (負けないさ) この日が来るとはね (負けないさ)
                  こんな日が来るとはね (負けないさ) この日が来るとはね (負けないさ)        こんな日が来るとはね

 

 
24.   シャバのジャバ            作詞、作曲 土岐 雄一郎

   シャバ シャバ シャバ シャバのジャバ ヤバヤバヤバヤバンヤバン   シャボシャボシャボシャボンシャボン ショボショボショボショ ボンショボン
   ジャバラ ジャバラ ジャバラ バラ  バラ バラ    バシャバシャバシャバシャウマノ ゴトゴトゴトゴト シゴト ヨゴト ヒゴト シゴト
   アサニ ユウニ アソビ ソビレ バラバラの人生 イロイロの人生   サラバサラバサラバ 灰色の人生 サバサバとジャバラひろげ
   チャラチャラとジャバを奏で  サバイバル サバイバル    サバイバル サバイバル
     
   これぞジャバ これぞジャバ シャバシャバシャバシャバラ バラバラ    ヤバイ つりはし わたるせけんに おにわなくても 住めば都 
   曲がりなりにも 間借りのすみか すみからすみまで 目を光らせてた   貧乏神さん ドンドコドン 日増しにやせこけつづけた 福のカミさん ドンドコドン
   日増しにふとってまいりゃした たよりにしてまっせ   ジャバラ バラバラ バラ銭かせぎも やがておさらば 
   サラバ さらさらさら 辻音楽師や辻斬り強盗 夜ごと 見る見る バラいろの夢

 

   
25.  裏に表に        曲 ピエール・バルー  訳詩  土岐 雄一郎

      どんなにハンサムでも    ウラとオモテがあるさ       顔が良くてもハートがないとか 頭が良くてもバカ
      美女とかスタイル美人  だまされちゃだめだめ      どう見てもブタ 大根カボチャ ブタノマンジュウは かぐわしき花シクラメン
      逃げたり 追いかけたり 笑い泣き怒りほほえみ     行くの帰るの死ぬの生きる この世は風変わりなフーガ

   ※  あさひる晩バンバンバン 今日 明日 あさッてッテッテ       手はどこまでも 伸びて伸びて 夢は宇宙の果て
      きのうおとといトイトイ 遠い過去はッワッワッワッワ      忘れられない悪夢 悪夢 忘れ去りましょう   夢は宇宙の果て
      テュルルルル リュ

 


 26. 六味唐辛子 一味の歌      詩・曲  土岐 雄一郎 

 

 

       一味は六人 六人は一味 六味唐辛子       十から四を引いて 六人も寄れば       怖い人たちが 六人も寄れば 六味唐辛子
       甘味と辛味が  からみ合い   薬研堀りなど真っ青サ 六味唐辛子       怖い人たちが 六人も寄れば
       十から四を引かないで 塩まいて ろくでなし ろくでなし       ロックでなし ろくでなし! ロックでなし ろくでなし
       ろっくでなし ジャズでなし タンゴでなし ファドでなし       エンカでなし ゴエイカでなし ラップでなしシャンソンで
       あるでなし ないでなし あるでなし ないでなし       無い無いづくしを 言うでなし 無い無いづくしを 言うでなし
       無い無いづくしにするでなし 無い無いづくしにするでなし       或るうたは 歌でアル  或るうたは 歌でナイ
       ナニがジャ? ナニがジャ?       言霊 歌霊 ことたま うたたま       うたた寝の 歌の種 うたかたの うたのかた
       肩と肩と寄せ合って 肩の肩とせり合って       歌い手方 六人方 ガタガタ スルゼ ガタガタ スルナ
       ガタガタ スルゼ ガタガタ スルナ 六味唐辛子       一味は六人  六人は一味 六味唐辛子

 

 

 

 

 

 

 

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